研究内容

本プロジェクトの核心をなすのは『肛門移植は可能か?』という問いである

1.研究概要

 人工肛門患者(オストメイト)が抱える問題は深刻である。排便機能再建のために、これまで自家組織による再建や人工括約筋の開発などの努力がなされてきたが十分とはいえない。我々は機能的にも整容的にも人工肛門に優る可能性のある肛門移植(会陰皮膚・肛門・直腸・括約筋をふくむ排便統制臓器の複合組織移植)の研究を、長年継続してきた。

本研究では以下の4方向からのアプローチにより、新しい複合組織移植の開発に向けた異分野共同研究を推進する。

  1. ラットを用いた実験モデルにおいて、移植後の免疫応答および組織適合性を解明すること
  2. イヌを用いた実験モデルにおいて、移植術後の排便機能を詳細に調査すること
  3. ヒトご遺体を用いて、様々な病態(機能不全)に対応できる手術法を確立すること
  4. 排便機能再建について社会に情報公開し意識調査を行うこと

2.研究内容

①本研究の学術的背景、研究課題の核心をなす学術的「問い」

「排便」は、人が生活を営む上で不可欠な基本的行動であり、「食事」「更衣」「移動」「整容」「入浴」とともに日常生活動作(ADL: activities of daily living)の一つである。 高位鎖肛・ヒルシュスプルング病などの先天性肛門機能不全、クローン病・潰瘍性大腸炎などの炎症性腸疾患による難治性痔瘻、直腸癌・子宮癌の腫瘍切除、あるいは外傷などによって、しばしば患者の肛門機能は失われてしまう。この場合、排泄のために腹部に人工肛門「ストーマ」が造設される。人工肛門は1908年に英国の外科医Milesによって腹会陰式直腸離断術を発表されて以 来、20世紀になり世界中に広まった治療法である(Miles WE. 1971)。 現在何らかの理由によりストーマを造設されている患者(オストメイト)は、日本オストミー協会によると、我が国で約20万人、欧州で約65万人、米国で約70万人にのぼる(Japan Ostomy, Association, Inc. 2019)。一般的に、腸管を腹壁から引き出し腸管皮膚瘻を人工的に作り、体表面にパウチを貼り、持続的に出てくる便を収容する。

これにより確かに多くの患者の命は救われてきた。しかし、ストーマの存在そのものによる新たな苦痛を患者に強いることとなったのもまた事実である。管理の猥雑さに加え、整容面や 精神面の問題は重く、深い。実際に心身症を発症したり自殺を企図したりする患者も少なくない(Bartha, I. 1995)。そればかりでなく、ストーマの陥没、脱出、壊死、瘻孔といった様々な問題が、長期間の管理中にしばしばみられ、患者や家族の日常 生活や社会生活に大きな支障が生じており、早急な解決策が望まれている。

一方、移植医療の分野では、手術手技や機器、臓器保存法および免疫抑制療法の進歩により、 肝臓、腎臓、心臓、肺、小腸といった生命維持臓器だけでなく、顔面や手、喉頭や子宮、さらには陰茎といった、患者のQOL(Quality of life:生活の質)向上を目的とした同種移植が行われるようになってきた。海外ではこれまでに顔面は約30例、上肢は約70例、子宮は約40例、ドナーからの移植が施行されており、同種前腕移植後の機能もDASH score (100点満点で0点が最高) で約20点 (Salminger S. 2016) と他家からの神経・筋・皮膚などを含む同種複合組織移植により機能が良好に回復することが示されたことは特筆に値する。

これらを背景に本研究課題の核心をなすのは、『肛門移植は可能か?』という問いである。

②本研究の目的および学術的独自性と創造性

 前述の学術的「問い」に答えるため、ストーマに苦しむ患者を救うため、本研究チームはこれまでも排便機能再建研究に関して、ラット、イヌおよびヒトご遺体を用いた検討を国内外の共同研究者と行ってきた。本研究ではこれをさらに発展させ、臨床応用を目指したトランスレーショナルリサーチを推進する。現時点で以下の4点の課題が挙げられ、検証を行っていく。

課題1:移植された複合組織の免疫応答および拒絶と組織適合性が明らかになっていない。

これまでの研究で、肛門移植後に免疫抑制剤と抗生剤を用いて拒絶をコントロールできたことを報告したが、免疫学的にその詳細は明らかにする必要がある。そこで免疫学を専門とする秋山靖人(静岡がんセンター・研究所長)を分担研究者とし、実験動物としてラットを用いて移植後の皮膚、粘膜、筋肉それぞれの免疫応答および組織適合性を解明する。

課題2:移植後の排便機能がどの程度良好なのか、詳細が明らかにする必要がある。

イヌ肛門移植後の排便機能を調べ、機能回復が見られたことを報告したが、その詳細および人工肛門と比較した場合の機能予後は明らかでない。そこで大腸外科医や獣医師らとともに、便禁制能をもつイヌ(ビーグル犬)を用いて同種肛門移植を行い、免疫抑制剤下に、排便機能を再獲得する過程を検証する。

課題3:どのような病態(機能不全)が肛門移植の適応になるのか、検討を深める必要がある。

ヒトご遺体を用いて腹会陰式直腸離断術に対する肛門移植の技術的可能性を検討したが、他にどのような病態(機能不全)に適応できるのか明らかになっていない。そこで大腸外科医、解剖学者らとともに、様々な病態に対応できる手術法を開発する。

課題4:排便機能再建について公開されている情報が少なく、社会的にあまり知られていない。

倫理的問題の解決は必須であり、社会の意識やニーズを把握する必要がある。日常的にストーマを診療している創傷専門の認定看護師(WOCナース)とともに、排便機能再建について社会に情報公開するとともに、患者および市民アンケートによる意識調査を行う。

本研究は、日常臨床の常識を覆すような発想であり、下記の点で独自性、創造性が高い。

  1. これまで軽視されてきたストーマ患者の抱える問題に対し、形成外科、大腸肛門外科、 移植外科、獣医師、創傷管理専門の看護師(WOCナース)、解剖学者、神経再生研究者、免疫学者らが異分野共同研究という形で解決法を追求している点
  2. 自家組織を犠牲にした既存の手術や人工物を用いた方法とは全くアプローチの異なる、「同種複合組織移植」という新たな手法による機能再建の可能性を発案した点
  3. 臨床応用を見据えて、ヒトに解剖生理学的に似ており便禁制能をもつイヌを使用した点
  4. 我々の日常診療で用いる再建外科技術、微小血管吻合技術、臓器移植技術といった革新的 技術を融合させ、新たな技術を生み出した点
  5. 医学的問題だけでなく、倫理的問題や社会的問題からもアプローチしている点
  6. 近年の免疫抑制剤の進歩および臓器移植改正法に伴う移植医療の推進に着目している点
  7. 食生活の欧米化により年々増加傾向の直腸癌や炎症性腸疾患の患者を対象としている点

③本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか

前述の4点の課題に一対一対応する形で以下の研究を進めていく([]内は実施予定者)。

検証1:実験動物としてラットを用い、同種肛門移植を行った後の免疫応答および組織適合性を解明する。 [荒木(研究代表者)、秋山・安永(研究分担者)]

免疫学的に詳細が明らかになっているため、実験動物としてラットを用いる。我々がブラジルの研究チームと共同開発した移植モデルを用い、移植後に抗生剤および抗ウイルス剤などで感染をコントロールしつつ、免疫抑制剤の使用下に、急性および慢性の免疫拒絶や移植片対宿主病(GVHD;移植された臓器が、免疫応答によってレシピエントを攻撃することによって起こる症状)などがどのように起こるか、免疫学的に解析する。免疫抑制療法としては、タクロリムス、ミコフェノール酸モフェチル(MMF)および副腎皮質ステロイドの投与を行う。術後は週2~3回のタクロリムスのトラフ値を測定する(急性期 10~15ng/ml、維持期 5~10ng/mlが目標値)。適宜、条件を検討し、GFPラットを用いた in vivo イメージング、PCR やFACSによるリンパ球解析などにより免疫応答および組織適合性を解明し、臨床応用に向けた基盤となるデータを蓄積していく。これらに必要な実験手技については、すでに十分準備され、実績もある。(Akiyama Y, et al. Int J Oncol. 49:1099. 2016.)

検証2:実験動物としてイヌ(ビーグル)を用いて肛門移植を行い、排便機能を再獲得する過程を調査する。
[荒木(研究代表者)、西澤・藤田・安永(研究分担者)]

イヌはトイレを学習し、便禁制能を持つため、排便機能を調査する実験動物として最適である。ラット直腸肛門移植においては術後2週間で機能が回復されるという報告があるが(Seid VE, Br J Surg. 2015)、前臨床実験としてイヌの肛門移植後の排便機能予後を詳細に評価する必要がある。また、全身状態の評価を、人工肛門造設の場合と比較する必要がある。
我々が世界で初めて成功させたイヌ肛門移植モデルを用い、同種肛門移植を行う。これまでは、移植前に一時的にストーマを造設し、直後の腸管吻合部に便が通らないようにしていたが、人工肛門閉鎖を含めて3度の全身麻酔手術が必要となっていた。そこで本実験では便失禁管理システム「フレキシシール」を用いて便による創汚染を防止する。これにより1度の移植手術で済めば、動物的にも経費的にも負担が大幅に軽くなる。

移植後は免疫抑制療法として、タクロリムス、ミコフェノール酸モフェチル(MMF)および副腎皮質ステロイドの投与を行う。術後は週2~3回のタクロリムスのトラフ値を測定する(急性期は、10~ 15ng/ml、維持期は、5~10ng/mlが目標トラフ値)。また、感染症予防として、抗菌薬、抗ウイルス薬、抗真菌薬の投与を行う。
予備実験においては、移植後よりタクロリムス 0.2 mg/kg/day、メチルプレドニゾロン 1.0 mg/kg/day、セファゾリン 20 mg/kg/day の弱めの免疫抑制療法にて経過を見たところ、術後4日目に急性拒絶が生じ、ステロイド増量にて軽快した。その後の経過は良好であり、術後1か月で自然に排便もできており、感染症などの有害事象も起こらなかった。本研究では組織生検を適宜行い、CD3/8/20などの免疫染色や、血中のCD4やCD8陽性細胞数の解析を行うことで、移植外科医とともに拒絶反応の診断も行う。

機能予後に関しては、術後1、3、6、12か月で肛門内圧測定や排便造影や動画撮影による排便機能評価を行う。術後12か月の時点で実験のエンドポイントとし、深麻酔による安楽殺ののち、解剖による全身検索を行い、有害事象がなかったかを調査する。肛門移植片からは皮膚、粘膜、神経、括約筋などの切片を作成して組織学的に評価する。また、人工肛門造設群を作成し、全身状態を長期的に比較する。なお予備実験は既に行った。

検証3:ヒトご遺体を用いて骨盤解剖について検討を深め、様々な病態(機能異常)に対応できる手術法を確立する。
[荒木(研究代表者)、西澤・福重・安永(研究分担者)]

ヒトご遺体を用いて腹会陰式直腸離断術を模したレシピエントを作成し、脳死を模したドナーから移植片を摘出し、腸管吻合、内陰部動静脈および陰部神経を吻合し、模擬肛門移植を行う。下腸間膜動静脈を吻合した直腸肛門移植モデルは既に予備実験が終了している。高位鎖肛などの先天疾患、 炎症性腸疾患の難治性痔瘻、外傷なども再建の適応になると考えられるため、様々な病態(機能異常) に応じた手術法を検討する。

検証4:排便機能再建について社会に情報公開するとともに、患者および市民アンケートによる意識調査を行う。
[荒木(研究代表者)、佐野(研究分担者)]

患者にとってストーマが苦痛であるというデータはあるが、排便機能再建についてはあまり社会 的に知られていない。その方法を啓発し、ストーマから脱却するためにどれほどのリスクが許容できるのかを把握することは、肛門移植の臨床応用に向けて重要である。市民公開講座や本ページなどで社会に情報公開するとともに、日本オストミー協会および若年女性の患者会「ブーケの会」と協力し、ストーマ患者および一般市民それぞれ400名に、肛門移植を含めた排便機能再建に関するアンケートを行い、意識調査を行う。さらに、新しい移植臓器として倫理的側面から、脳死後のドナーの視点に立った意識調査も同様に行う。

3.本研究の着想に至った経緯など

本研究の着想に至った経緯と準備状況

1908年のMiles手術の発表から100余年、患者QOLの向上が叫ばれる現代において、ストーマ そのものがもたらす医原性の問題は無視できないものとなってきた。しかしこれまでの自家組織による再建手術や人工括約筋の埋め込みでは、充分な排便機能の回復は得られていない。将来的には、ES細胞やiPS細胞を用いた再生医療も大いに期待されるが、複雑な構造および機能を持つ臓器や複合組織の完全な再生は、現段階ではまだ難しいとされている。 一方、海外で盛んに行われるようになってきた「同種複合組織移植」は、顔面や上肢といった複雑な機能を良好に改善する手段として、 近年、特に注目を浴びている。このような経緯から、「肛門移植」という斬新かつ独創的な着想に至った。

関連する国内外の研究動向と本研究の位置づけ

患者のQOL向上が叫ばれる現代の医療において、本分野では、総合的な排便機能改善に関する研究が求められている。本研究チームがこのテーマに着手した際に論文として発表されていた研究成果は、ブタで同種肛門移植モデルを作成したイギリスの実験(O’Bichere A, 2000)とラットを用いた有茎肛門移植のブラジルの実験(Galvão FH, 2009)の2編のみであり、研究が非常に遅れた状況にあった。その理由は、移植技術自体の困難さに加え、分野が多岐にわたるため、連携が容易ではないからであった。現在では前者は研究を継続しておらず、後者は本研究チームの共同研究者の一人となっており、その後の本分野の研究業績にはすべて本研究チームが関わることとなった。(※肛門機能評価において実験動物として最適であるイヌを用いて、本分野の研究を行えているグループは世界でも我々のみである)

米国の大学との新しい複合組織移植の共同研究に加え、排便機能再建の権威であり、自家幽門移植術を臨床応用させているインド King George’s Medical College の Chandra 教授とも近年、肛門移植の臨床応用に向けての共同研究を締結し、世界の有識者で一つのチームとなって、人工肛門患者のストーマからの脱却を目指した国際共同研究を進めている。

国外においては、多臓器移植および同種複合臓器移植はますます注目を浴びてきている。日本においても2010年の臓器移植法の改正を受けて飛躍的に件数は増えている(日本臓器移植ネットワーク)。当該研究はこのような発展著しい移植医療分野への新たな可能性の提示として位置づけられる。本研究の推進により総合的な排便機能改善に関する研究の基盤を構築することができれば、臨床的・学術的に意義が大きく、特に肛門移植の実用可能性が示されれば、そのインパクトは世界的・歴史的に見ても非常に大きい。

4.人権の保護及び法令等の遵守への対応

動物実験

実験動物として小動物だけでなく中動物であるイヌを用いるため、動物倫理の面から、より厳しく対応していく。本研究のイヌを用いた実験については、研究計画を東京大学動物医療センターにおける動物実験倫理委員会に申請し承認を得ている(承認番号P13-826)、ラットを用いた実験に関しては、静岡がんセンターにおける動物実験倫理委員会に申請する。動物の個別情報はコードナンバーとして暗号化される。使用動物数に関しても最小限の犠牲で実験が完遂できるよう最大限に配慮する。

ご遺体解剖

日本外科学会発行の「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」に従い、研究計画を愛知医科大学の倫理委員会に申請する。個別情報は、研究に最低限必要な死亡時の年齢および性別を除いて暗号化され、最終的には破棄される。結果を学術論文や学会で報告する場合はプライバシーの保護を優先する。研究期間終了後も引き続き、データや資料、解析結果は厳重に管理される。

社会の意識調査

アンケート調査に関しては、本研究チームが現在所属する静岡がんセンターの倫理委員会の承認を得て行う。データや資料、解析結果は静岡がんセンター・再建形成外科にて厳重に保管される。個人が特定できないように連結不可能に暗号化される。結果を学術論文や学会で報告する場合はプライバシーの保護を優先する。研究期間終了後も引き続き、データや資料、解析結果は厳重に管理される。